三位一体の時間・運動・エネルギー

 生を始点、死を終点とするなら、生と死の間には無数の相対的な状態が存在し、これが言わば健康状態です。

 では生と死では何が一番違うでしょうか。

 昔は心臓停止と考えられていました。しかしこの考えは心臓移植が可能になったいまでは否です。いまでは脳死と医学的には考えられるようになりました。ただ脳死とそうでない状態との判定が機能的・相対的であり、絶対的ではないために曖昧さを残しています。

 生から死に移行した瞬間で一番違うのは個体の生命の時間です。すなわちこれまで動いていた生命内部の時間の停止です。時間は我々の外界のみならず内界にも存在しますが、もともと存在するのではなく、生み出されているのです。

 つまり我々生命が時間を生み出せなければ我々はいっときも生きていることができません。

 時間を生み出すには運動が不可欠であり、運動にはエネルギーが不可欠です。すなわち我々生命には時間・運動・エネルギーの三位一体の関係が存在します(ここでの運動はmotionであり、健康によく登場するexerciseではありません)。

 三位一体の関係から、時間は結局のところエネルギーが形を変えたものです。生命内部の時間が健康と切り離せないのは生体エネルギーがもとになってその時間が生み出されているからなのです。しかしこのような視点が人間社会中心の時間認識のために欠落しています。また生命内部の時間を生み出す運動を示したのがバイオスターによる体内地動です

 生命内部の時間の連続性なしに我々が生きていられないのは少し考えれば分かることです。その時間が受精時からいまに続いているのは当然です。ところがこの生命内部の時間の連続性が学問の上では途切れているのです。生物学や医学、物理学などの学問に垣根があって縦割りだからです。

 このように生命には内部の運動・エネルギー・時間の三位一体の関係が存在し、健康の重要なカギを握っているのです。この運動はまた個体の基本形成の前後で形態が異なりますので見過ごされやすいのです。

 広辞苑で「運動」を引いた時の②にある「形態・性状・機能・意味などの変化一般をいう」は生命が個体の基本を形成するまでおもに当てはまる運動です。人間の生命では個体の基本形成までは時間に応じて大きくなる時間と空間の比例関係が見られます。

 しかしこのような比例関係は母胎内にいる時に最もよく見られ、誕生後は大きくなるにつれてだんだん見られなくなり、大人ではすっかり見られなくなります。

 したがって生命内部の運動・エネルギー・時間の三位一体の関係も存在しなくなるかに見えます。

 ところが三位一体の関係は個体の基本を形成すると運動のもうひとつの形態に引き継がれているのです。これが広辞苑で「運動」を引いた時の①に当たります。

 その①とは「物体が時間の経過につれて、その空間的位置を変えること」です。この運動に引き継がれることにより生命内部の時間の連続性は保たれ、三位一体の関係も存続します。

 ところが医(医学・医療)をはじめ社会の常識はそのひとの生きてきた時間に関し暦年齢(暦に基づいて数える年齢)一辺倒であり、三位一体の関係で生まれている一人ひとり個性ある生命内部の時間を見過ごしています。これでは疾患を十分に予防できません。

 三位一体である生命内部の時間・運動・エネルギーには空間が暗に存在します。つまり時間と空間は運動で結び付いているのです。個体の基本形成までの運動は全身的な空間と時間の関係です。

 ところが個体の基本形成後は体内地動説の提唱するように「バイオスター(運動体)が時間の経過につれて、その空間的位置を変える」部分的な関係に変わります。しかしそこが全身・全体を統制する中枢であるため全身・全体的な運動のごとき効力をもちます。

 繰り返しになりますが、我々生命には時間・運動・エネルギーの三位一体の関係が存在します。時間と運動とエネルギーのうちどの視点が欠けても三位一体とはなりません。すなわち生命はそのエネルギーが内部の運動によって時間に変わることが生存に必要な最低条件です。

 ゆえにこの三位一体の関係が健康の非常に重要なカギを握っているのです。ところが人間社会中心の時間認識のみである(生命中心の時間認識がない)と三位一体の視点はもてません。つまり人間社会中心の時間認識一辺倒は健康に大きなマイナスなのです。これならいっそう時間認識をもたないほうが良いくらいですが人間は社会生活上、そうも行きません。ゆえに健康のためいま一番変えるべき常識は人間社会中心と生命中心の時間認識をもち合わせることなのです。

 

次ページ   前ページ