人間に健康学が必要な理由

 物理学者として有名なアインシュタインは言いました。「常識とは18歳までに身に付けた偏見のコレクションのことを言う」と。

 常識の多くは人間社会を中心としたものです。そのために自然を中心に見直すと偏見がかなり多いのです。その代表が時間認識です。

 つまり一般に言われている時間は人間が取り決めた時間の物差しをあてがった量の意味しかもっていません。ところが時間は本来、空間と不可分であり、どちらか一方のみでは存在し得ません。どちらか一方のみで存在するのは人間社会や人間の概念上のみなのです。自然界である宇宙や生命では時間と空間は運命共同体であり、一体的な存在です。

 すなわち生命内部の時間は生命時空として存在します。このために人間社会では量の意味しかもたない時間ですが、生命では質の意味も併せもっています。この質が生物の種によって異なるばかりでなく、一人ひとりでも異なりますので、病気をしやすい時期が一人ひとり異なって存在するなど、健康にも重要な意味を年齢に相当する生命内部の時間はもっているのです。

 ところがこれまでの常識は暦に基づいて年齢を数える暦年齢のみですから、病気や突然死に陥る落とし穴が見過ごされているのです。

 手相と言えば運命を予知したり判断したりするものとの常識も誤りです。

 「手相の本質はエネルギーマップ」であり、身心のコンディション変化(バイオウェーブ)は予測できても、運命を予知するのは科学的に無理があります。つまり生命の必然面から予測するわけであり、偶然面まで分かるはずはないのです。

 手相は本来、健康管理に大変役立つ羅針盤なのですが、誤った既成概念(常識)によって十分に活用されていないのは惜しいことです。手相は自然の現れであり、正しいも誤りもありません。手相に対する人間の見方や考え方に問題があるのです。

このように人間社会には自然に照らし合わせると誤りや誤解がたくさんあります。ですからこのことに気づくため人間には健康学が必要なのです。この点で自然そのものの生き方をしている野生動物に健康学は必要ありません。

 そのほか健康をダメにしている常識は数え切れないほどあるのですが、詳しくはお問い合わせください。

健康法と健康学はどちらも健康のための智恵ですが、健康法が実践に重点を置いているのに対し、健康学は気づきに重点を置いています。健康法は数え切れないほどありますが、健康学はそう多くあるわけではありません。

殊に生命の本質を見据えた健康学はこれまでほとんどなかったか、当健康学が最初かもしれません。なぜなら生命内部の時間を空間と一体化した生命時空としてとらえない限り、生命の本質を見据えていることにはならないのですが、そのような健康学は当方の知る限りこれまでなかったからです。

健康学が健康のために役立つのは単に知識が増えるからではありません。むしろ生命の本質に照らし合わせ、自然に反する既成概念を捨てることにあります。本質的な気づきにより、不要な既成概念や枝葉末節の知識にとらわれなくなって生命が本来の働きを取り戻し、免疫力や自然治癒力のもとになる生命力が高まり健康増進に繋がるからです

 

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