生命内部の時間とは

 物心がついた頃から皆が分かり切っていると思いがちなのが時間です。しかし常識となっている時間は人間社会に都合の好いものであり、本質ではないのです。

 自然界の代表は宇宙ですが、我々生命も内部は基本的にひとつの自然界です。自然界には時間と空間が対になる単位があり、これを統一体とすると我々一人ひとりの生命も統一体です。統一体の時間と空間は運動を介して一体です。運動はエネルギーが存在して可能であることから、時間は結局のところエネルギーが形を変えたものなのです。

 これを生命に照らし合わせれば、生命内部の時間は生体エネルギーが形を変えたものですから、生命内部の時間は健康と切り離せないのです。すなわち生体エネルギーが内部の運動(体内地動)によって時間に変わることが我々の生存に必要な最低条件です。

 ゆえに生命内部の時間・運動・エネルギーの三位一体の関係が健康の重要なカギです。ところが世の常識はそのひとの時間に関し暦年齢(暦に基づいて数える年齢)一辺倒であり、三位一体の関係を構成している一人ひとり個性ある生命内部の時間を見過ごしています。これでは疾患を十分に予防できません。

 前記の運動は英語で言えばmotionであり、exerciseが一般的である医(医学・医療)にはあまり馴染みのないものです。とは言え、広辞苑で「運動」を引いた時の②にある「形態・性状・機能・意味などの変化一般をいう」は生命が個体の基本を形成する時に当てはまるmotionとしての運動です。

 個体の基本を形成すると、広辞苑で「運動」を引いた時の①にある「物体が時間の経過につれて、その空間的位置を変えること」(これがバイオスターの運動=体内地動)に形態が変わって時間の連続性は保たれているのです

 すなわちmotionとしての我々生命の運動は広辞苑で「運動」を引いた時の②から①の意味に受け継がれています。このように広辞苑にある「運動」には先見の明があったとともに、日本語は生命内部の時間の連続性を合理的に説明できる数少ない言語です(唯一無二かは不明)。

 つまり統一体である我々一人ひとりの生命も非反復・不可逆の運動(motion)があって時間は基本的に生まれています。ただ運動が行なわれているのは個体の基本形成後は外からは見えず、しかも体内のごく一部分に非反復・不可逆の運動は限られます。しかしそこが全身・全体を統制する中枢であるため全身・全体で運動していると同様の効力をもちます。

 人類のこれまでの時間認識は人間社会中心で社会生活を送るためには必要ですが、これ一辺倒のため生命観そして健康に影響が出ています。その意味で人間社会中心の時間認識のみでなく、もう一方で生命中心の時間認識が必要なのです。

 

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